社会不適合者の生き様

社会不適合者、精神疾患や発達障害、同性愛。色々抱えた1人の女による考えやまとめ。

家族から性被害にあった話②

・拒否できない理由

・性の価値観について

 

前回  家族から性被害にあった話① 

 

 

否できない理由

初めて父からの被害があったときから

時々、両親の寝室に呼ばれるようになりました。

母が部屋にいないとき、例えば


・リビングに居るとき

・お風呂に入っているとき

・外出しているとき

 

など、部屋に来ないタイミングが

多かったです。

呼び出しの一言は「肩揉んで」でした。

 

肩もみは実際するのですが

腰、足、全身マッサージを行い

(このときに股筋など際どいところもお願いされたことも)

 

終わると『次は雪森の番だよ、横になって

と横にされ、胸を揉まれ、裸にされました。

 

中学の終わりまでは、いわゆる本番はしませんでした。

それでも、そのタイミングでもやめることはできませんでした。

 

理由は怖かったのもありますが、私はこれと引き換えに

あるものを手に入れていました。

 

父の携帯電話を使用する権利です。

当時、私はプリペイド携帯しかもっておらず

画像や音楽は誰かに送ってもらわないと見れませんでした。

 

その時私はアニメやジャニーズにハマっていたり友人に話を合わせるために

父の携帯を利用しWEBを閲覧していました。

 

そのときにはもう麻痺ってしまってて

首から下はとんでもない状況にも関わらず

真顔で情報収集したり、早く終わらせたいときは

興奮材料を見つけてそれを見ながら...

 

まるで援交でした。

今思うとメンズエステにも近い。

 

の価値観

そもそも、私の性の価値観は

幼少期の影響からかなり緩かったと思います。

 

まだ小学校にも上る前、私は年上の母方の従兄弟に

身体を弄られたりとよく変な遊びにつきあわされていました。

私はそれを『変なこと』と称してました。

 

そして、母方の実家は性に奔放だったため

そこら辺にエロ本、ティーン雑誌の数々。

若くから子供を作る従姉妹たち。

 

(母はよくそんな家で誰以上に真面目に育ったなあ)

(おかげで初めて付き合った実父と結婚して私が生まれたわけですが)

 

止める人なんていませんでした。

 

従兄弟が転校して離れ、今の父親(加害の父)と

母が再婚してからも、全く無縁になったわけでは

ありませんでした。

 

身体を渡せば遊んでくれる、そう思ってしまったのです。

 

私も転校し、新たに友人が増えその中には女の子もいましたが

近所にはひとつ下の男の子でいっぱいでした。

私はその中で敢えてスカートで遊びに行き

パンツが見えても気にしない、なんなら見せに行く。

 

ひどいときには廃車で遊んでて、トランクにわざと

男の子数人と閉じ込められた、なんてこともありました。

 

あ、これ小3頃の話です。

 

この頃には性知識もだいたいわかってましたね。

小6の頃に好きな男子の前で『童貞』って言ってしまって

意味を尋ねられて困ったのはいい思い出。

一生結婚できないってことだよって言いました。間違ってはないと思う。

 

おかげで今も正直に言うと

身体を差し出すのは申し訳無さとかはあれど

恥ずかしいとか抵抗はないです。

 

キスのほうが大事。ホント大事。

好きじゃない人とセックスはできるけど

キスはできないと思います。仕事とかなら仕方ないですが。

 

多分狂った価値観なんだろうなって思いますが

そうさせたのは過去の男性陣なので彼らに文句を言いたいです。

所詮男は、なんて嫌でも思っちゃいます。

 

だからか恋愛感情も多少ずれているみたいです。

 

長くなったので、そろそろ話を戻してその後父と何があったのか

話は次に続きます

 

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